こんな記事を目にしました。
「(今のアメリカでは)意識の高いコミュニティになると、地球環境に配慮して使い捨てプラスチックのペットボトルがタブーになりつつあり、水筒などを使わないと白い目で見られるそうだ。せっかく便利になった社会を後退させるような社会規範の登場に驚いている。
日本もそうなってしまうのだろうか。。。」
さらに続きます。
「(プラスチックゴミ問題や気候変動問題に対する対応から)嬉しそうにSDGsバッジをつけている人の多さからして、小手先のやった感が好きな人が多いのだろう。地球を守るという大義名分に逆らうのは難しい」
発行部数一二を争う週刊誌に載っていたコラム記事です。
私も、「便利」に慣れた現代人の一人です。
できれば「便利」を手放したくありません。
このままなにもしなくても、このまま「便利」さを求め続けていても、
おそらく私が生きている間は、なんとか人間が生きていける地球でいてくれると思います。
もちろん、多くの生き物を犠牲にしながら。。。
でも、本当にそれでいいのでしょうか。
そして近い将来、
ポイント・オブ・ノーリターンの瞬間を迎えてもいいのでしょうか。
地球が生まれて46億年
人類が生まれて20万年
そして、地球を汚し始めたと言われる産業革命から約200年。
地球の年齢を考えると瞬く間にこの地球を汚してしまったことになります。
もちろん、
水筒を使ったり、レジ袋を有料化したり、SDGsバッジをつけたくらいで、環境は容易に改善するわけではありません。
いま一番必要なのは、全ての人々に、本当の問題点を知ってもらい、一人ひとりの意識を高めることではないかと。
少なくとも、
「便利」のために、地球を守るという大義名分に逆らうような考えはあり得ないと思うのです。
このコラム記事では、
まともな代替え案や提案もなく、そもそも海洋汚染についてはまったく言及しないで、
単に、発電による二酸化炭素問題について、現状の電力エネルギーの問題点をだらだらと述べまくっているように感じました。
そして、
こう締め括っています。
「驕れる者は久しからず。SDGsバッジの次はなにが流行るのだろう」
SDGsですら一時の流行りとしかとらえられていない悲しさ。
なぜ、水を差すようなことを言うのでしょう。
結局は、便利な生活スタイルを変えたくないがための、詭弁としか思えません。
一人ひとりの意識が、
本当の意味で「持続可能」な方向に向くこと。
政治のせいにしない。
メディアのせいにしない。
他人のせいにしない。
いま自分がすべきことを、自分の中から感じるために、
「知ってほしい」ことがたくさんあります。
耳をかたむけてください。
地球を犠牲にしてまで「便利」を求めますか。
後世の人々がどの様な目にあってもいいですか。
コロナで生活様式を変えることができたのですから、
もっと重要でもっと切実な”地球”のために、
まずはその「便利な生活スタイル」を
ちょっとだけ変えてみることはできませんか。
「あーしろ、こーしろ」って言われないと、人はなかなか動けません。
でも、自分ですべきことを自分の中から決めさせて、自分から行動に移さざるをえないようにしないと、ホントにこのままダメになっていくと思います。
現実を曲解しないで、穿った見方をしないで、
ストレートに感じ、知ることが、本当に大切です。
特に日本人は問題を自分の中に持つことが不得手です。
持つことができれば、その問題をどうしようかという発想になります。
自分たちの中から生まれた問題意識で自分から動く、
そういう文化をみんなで作っていく必要があります。
個人として日々できることは何か、、、
世の中の色々なことに対して、
(他人の言動に惑わされず)自分だったらどう対応するか
いつも問いかけてみてはいかがでしょうか。
◆自分の中に問題意識を持つ。
◆自分の頭で考える。
◆自分に問いかけてみる。
慣れていないとなかなか難しいことかもしれませんね。